表参道。
 寒い寒い夜。
 久しぶりに、ゆうこりんとあう。(この日から、ゆうこりんと、彼女を呼んでみることにした。)
 ゆっくり御飯を食べる。いや、意外とがつがつ食べた!お腹空いていたもの。
 目指していたお店は、12月に閉店していた。
 だから、そばにあったお店に入る。入ってみると、見慣れた顔の店員さん。
 初めてのお店なのに、なぜ。「あれ?お会いしたことがありますか?」
 と、いきなり私話しかける。だけど、この前の沖縄の海楽祭でさえ、
 あ!私早稲田大学で、人間科学部でご一緒だったNUUですが!
 と、とある女の人に話しかけると、あっさり人違い。
 この人見たことある。は、大概、私の場合、人違い。
 ごめんなさい。間違えてた方々。だけど、今回は正解!
 渋谷で良く御飯を食べに行っていたカフェの店員さんでした。
 はぁ!よかった。
 そして、ゆうこりんと、ひとしきり、恋の話。
 「人を助ける」、「私が、人に出来ること」をテーマに話す。
 私がいないとこの人はだめなんだ。という思いで、その人との関係性を見いだすこと。
 という話など。それはそれは深い話へとつながる。
 人との関係性の取り方は、とても難しい。作品に対しての姿勢とも似ている気がしている。
 なるべく、自分の体を通気性を良くしておくこと。
 自分という「我」と、ものが通過してゆくことをせき止めないこと、任せること。
 そのバランス。漠然と、そんなことを思うのです。
 彼女といるのは、とても心地よい。
 心地よい人。というのは何が合うのだろう。
 言葉にすれば簡単だ。「間の取り方。」
 たとえば、二人で散歩をして、本屋にふらりと入る。
 そのとき、店内でどうするか。という選択が、おなじなのだ。

 傘は、食事を終えて、店を出るときに、気がついた。

 大好きな虹色の傘。

 目の前から無くなった。

 なるべく、もので、一生ものとか、お守りとか。持ちたくない。
 だって、ものはなくなる。必ず、なくなる。
 だから、いやだ。引き剥がされるようで、無くなるのが怖い。
 常に無くなっていないか心配をする。

 兄に受験の時、お守りを妹の私が買ってきたのに、
 「お守りはいらない。」と断られた。
 「だってもし入試の日、お守り忘れたら、不安で仕方がない。」と、断られた。
 確かに。とおもった。

 その言葉が、今でも私の中に残っている。

 髪をばっさり切ったことも、今回傘が無くなって、
 思い出した。自分と言う体の外側に、色々と大切なものを持ちたくない。

 無くなるのが怖いものが沢山あるのが、辛い。

 とか色々、ゆうこりんに、演説ぶってみる。
 だけど、私は、悲しくって仕方ない。

 私は、「もの」で大切にしているもの達を考えてみた。
 今、なくなって、取り返しのつかないもの。

 なんだろう。

 ゆうこりんと、抱き合って、駅でさよならをして、
 心細くって、まだ仕事をしていると言っていた友人を、駅で待ってみる。
 一緒に帰りたいと思ったけど、友人は、仕事が終わらないという。

 一人電車に乗って。私の街の駅。
 いつもより、遠回りをして帰る。美しい桜。
 まだ、ちらずに闇にぼんやり浮かんでいる。はらはらと泣いた。
 切なかった。
 生きているものも死んでゆき、大切にしている物も、
 誰かが、レストランで間違えて持っていってしまう。

 好きなのに、うまくゆかないとか、
 好き同志なのに、相手が求める関係と、私が求める関係が違ったり。
 そういうことが、沢山、沢山、この世で起きていることが、

 切なかった。

 雨で濡れた夜の路で、濡れた空気を吸い込みながら、
 涙がはらはらと出た。

 桜を見上げて、声を立てて、泣いた。

 一人で、見上げて泣いた。

 誰かの元で、虹色の傘が開かれて、その人は、どんな表情をするの。

                       NUU 2005年4月13日



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