映画を観た。 nack5のラジオのゲスト生出演の前に、 今夜は『エターナルサンシャイン』を見た。 大学時代の後輩、みやじと見た。 号泣してしまった。 自分で頭の中できちんと整理して、並べていて、 このセーターは赤いから、この棚に、 このセーターはカシミアだから、この棚に、 って並べていたのに、そんなこと、吹っ飛ばされて、 セーターが、顔面めがけて吹っ飛んできた。 映画の後、ラーメンを食べた。 みやじと、私は、ぼぅっと、それぞれの中に旅を始めた。 思い出そうとなんてしないのに、 自分でもう冬物だって衣替えしたはずなのに、 ノースリーブのシャツの下には、 カシミアの腹巻きを着込んで汗だくになっているのだ。 なんてこった。 「自分で把握している自分」なんて、 時に、まっぴら、把握なんかしていない。 それを知る。 「私、わかったの。」 そういう風に友人に言いふらしたくなる「最近の発見」は、 少し時間が経つと、「私って、わかっていなかったなぁ。 なのに、みんなに、わかったって、言いふらしたなぁ。」って大概反省する。 だけど、私は「私わかったの。」って、みやじに熱弁を振るう。 そんな話を聞いてくれる大学時代の後輩は、なんて、素晴らしいんだ。 「私に話しかけるのに、敬語じゃなくていいですよ。」と、みやじに言うと、 みやじは、いわゆるコントで、「中国の人が話す日本語」のような おかしな日本語で、話しかけてきた。 なんで、『エターナルサンシャイン』で号泣したんだろう。 どこで私は、泣いたんだろう。 それは、少しでも一緒に時間を過ごした人を悪く言うシーン。 自分の中で、他人に話をするときに、相手を悪く言わないと整理ができなくって、 あんなひと!なんてひと!全くひどい野郎だった。 と、おさめて、納得させるしかできないことがあるものだ。 ありました。 それが、とても悲しい。 そして、そうしなければ、前にゆけないこと。 そして、その罵声も真意じゃない。というけど、真意でもあるのだ。 それが、とても悲しい。 だけど、次の日にはにこやかに、 げらげら笑って生きている自分が、とても頼もしい。 NUU 2005年3月22日 |
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